【矢口道場 道場訓 第三条】支離滅裂プロ予想家連中 Ⅰ

プロ予想家と呼ばれる連中はいっぱいいる。新聞や予想提供会社に所属している奴もいれば、フリーでやっている奴もいる。もちろん自称プロ予想家という連中も多い。自称であれ他称であれ、プロ予想家とはどういう連中なのか。

プロとは「professional」の事で、「職業的な」とか「高水準の」とかいった意味である。プロ予想家とは、職業として予想をする者とか、高水準の予想をする者とかいった連中の事か。ほとんどの連中は自分を「高水準の予想が出来るがゆえ職業として予想をする者」とか「職業として予想をしているがゆえ高水準の予想が出来る者」とか思っていて、人からもそう見られていると信じている。だが実情は「単に金を得る為の手段として予想をする者」である。その事に関し俺は一歩も譲る気はない。だからこれからきっちり教え込んでやる。長くなるから、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲに分ける。

プロスポーツ選手は、ほとんどの場合アマチュア選手との間にハッキリとした体力的・技術的な差がある。アマチュアで力・技が突出した者がプロになっているからだ。プロ予想家の場合はどうか。一般の馬券購入者との間にハッキリとした差があるのか。一般の馬券購入者で予想が突出した者がプロになっているのか。この事は非常に大事な問題だ。なぜなら多くの馬券購入者が、多かれ少なかれプロ予想家の予想印の影響を受けているのだから。馬券購入の際に馬柱を見て検討する奴がほとんどだろ。馬柱を見るためにスポーツ新聞・競馬専門紙を買う。そうするとどうしても予想家の印が目に入る。予想家の印も含めて馬柱を見たい奴もいるし、逆に予想家の印を邪魔と思う奴もいるだろう。中には1紙では飽き足らず2紙、3紙と買って色々な予想家の印を見比べる奴もいれば、馬柱の予想家の予想印欄を塗り潰したい奴もいるだろう。とにかく予想家の予想印は多くの馬券購入者に影響を与える代物だ。

予想提供会社については別で述べているので、スポーツ新聞・競馬専門紙の予想家について。スポーツ新聞で予想印を付けている予想家の中には、本当は競艇や競輪の予想をしたかったのに競馬予想に回されたなんて奴もいる。呆れるくらい適当だ。スポーツ新聞にせよ競馬専門紙にせよ、売れればいい。売れる為にはどうすればよいか、価格を下げる事はまずない。では予想の質を向上させるか、そもそも予想の質って何だ。

線引きは人それぞれだが、低配当の決着と高配当の決着が存在し、同じ金額賭けるなら高配当を当てるにこした事はないのだが、いつもいつも高配当で決着する訳じゃない。低配当の時もあれば高配当の時もある。低配当ばかり当てて高配当はめっきり当たらない新聞、高配当ばかり当てて低配当はめっきり当たらない新聞、一長一短こういう偏った新聞は売れない。低配当だろうと高配当だろうととにかく当たる、こんな夢のような新聞があればみんな買うだろ。でもこれは夢でも何でもない、低配当も高配当も当てまくる新聞、今売られてる新聞は殆どこんな夢のような新聞だよ。低配当ばかり、高配当ばかり、そういう偏った新聞は売れない。だから新聞は考えた、個々の予想家に偏らせればいいんだ。

スポーツ新聞・競馬専門紙に予想印を付けているのは1人、2人の予想家ではない。各レースの馬柱欄に組み込まれているメインとなる予想家が数名、馬柱とは別の欄にまた数名、各紙1つのレースに対し十数名の予想家に予想印を付けさせている。一般的に馬柱欄の予想家は1軍で、別の欄の予想家は2軍のような位置付けらしい。そして馬柱欄の1番下に予想印を付けるのが本紙と呼ばれる言わばその新聞が抱える予想家の代表格で、主として人気サイドの予想を展開、1番上に予想印を付けるのが穴予想担当の代表格でその名の通り下位人気の予想を展開するのが一般的だ。そして他にも多種多様な予想家が10数名。誰が当ててもその新聞は「ウチの新聞はそのレース当てました。」とのたまう。

会社に属す限り、会社の利潤追求に貢献しなければいけない。新聞に属す予想家である限り、新聞の売り上げに貢献しなければいけない。利益を上げた事に誰の功績という事はなく、新聞全体として成功すればそれでいい。だからそれぞれの予想家が役割分担をする。新聞に属す予想家全員が同じレースで同じ馬に◎を付ける事はまずない。明確な役割分担がなされているからだ。俺だったら18人の予想家を用意して、1人1人に1~18の異なった馬番全てに◎を付けさせる。そうすれば総流しさせなくても単勝もしくは連軸は新聞として全レース的中させる事が出来る。俺に言わせれば新聞で予想印を付けている予想家、みんながみんな実在するかも怪しいもんだ。

スポーツ新聞、競馬予想専門紙は売り上げを伸ばしたい。売り上げを伸ばす為に1レースでも多く的中報告をしたい。的中報告をする為に数多くの予想家を抱え役割分担させ、低配当・高配当という多種多様な決着に備える。そこには「高水準の」などというプロ意識は存在せず、職業としての割り切った予想でしかない。世間には元々人気サイド主体の低配当予想をする予想家がいて、穴主体の高配当予想をする予想家もいて、そんな連中を満遍なく雇ってバランスよく予想印を散りばめているなどというのは幻想に過ぎない。世間のプロ予想家なんぞ所詮は職業として予想をしている者であり、決して高水準の予想をする者ではない。馬券王矢口は正真正銘、高水準の予想を展開するプロフェッショナル予想家である。