【矢口道場 道場訓 第四条】支離滅裂プロ予想家連中 Ⅱ

プロ予想家の発言について。各紙数名の1軍予想家の中でも名前の売れた予想家がいる、その新聞の看板予想家。名前が売れて看板予想家になっているのだから、そこそこの成績を収めてきたのだろう。看板予想家は、購読している連中にはちょっと気になる存在。1軍に位置づけられた予想家はもしかしたら、自分の自由意志で予想印を付けているのかも知れない。看板予想家以外は自由意志ではなく何によって予想印を付けているっていうんだって?新聞売る為の歯車、単なる駒なんだから役割分担されて馬注の予想欄に空き家を作らないよう印を打ってるんじゃねーの。予想家自体実在してるか怪しい限りだがよ。

いつも低配当の予想をしている看板予想家A、いつも高配当の予想をしている看板予想家B。Aがいつもなら考え難い高配当馬に◎を付けると、このレースは荒れるんじゃないか、Bがいつもなら考え難い低配当馬に◎を付けると、このレースは堅いんじゃないか。看板予想家の信者や、その新聞を購読している連中は色々考える。「私はこの馬Cには新馬戦の頃から◎を付け続けているんです。」おそらく今後も◎を付け続けるつもりだろう。「私はこの馬Dには新馬戦の頃から◎を付けた事がないんです。」おそらく今後も。だが一転、Cに◎を付け続けていた予想家が今回は付けていない、またDに◎を付けた事がない予想家が付けている。それを目の当たりにした迷える子羊は考える。「ずっと◎を付け続けてきた(付けた事がない)のに今回は付けていない(付けている)、頑ななまでに付け続けてきた(付けてこなかった)のに今回はどうしても外さざる(付けざる)を得なかったんだな…..勝負気配だ。」とほくそえむ。看板予想家がずっと◎を付けてる(付けてない)と言うからには、何かしらの理由がある。血統的な好みだとか、馬体理論だとか、POGや一口馬主絡みだとか、もう意地になって楽しんでるだけなんだよ。競馬にはドラマがあるかも知れない。けどな、予想家の予想印の付け方にドラマなんか見出すなよ頼むから。そこまでやってたら競馬って奥が深過ぎだろ。笑

新聞紙上や雑誌誌面、NET上やTVで見聞きしたプロ予想家殿の言葉。「こんなレース堅くて面白くない。」「遊び程度にしか買わない。」「印は付けましたけど、私は買いません。」「勝つのはあの馬だろうが、敢えて違うこの馬からいく。」「BOX買いは女々しい、男らしく流し馬券で。」「予想とは単勝当ててなんぼ。」「当日になってパドック・馬体重を見て、◎を変えるかも知れない。」等々よく目や耳にする、ある種の奴等には有難いお言葉。こういうの見たり聞いたりすると俺は頭が痛くなるよ。言ってる奴も、うんうんと聞いてる奴も皆まとめて救いようの無いアンポンタン。

およそプロと名乗るのであれば仕事にプライド、責任を持つべきで、高水準の予想であろうが低水準の予想であろうが、予想する事が職業であるなら自分の仕事にプライド、責任を持て。ただ全レースに予想印を付ければそれで終わりなのか。新聞・雑誌・NET・TVを通して情報発信してんだろ。何故お前等はプロ予想家でいられるのか考えた事あんのか。客がいるからだよ。鶏が先か卵が先かじゃねぇんだよ。お前等の予想買ってくれる客がいるから、お前等はプロ予想家でいられるんだよ。それを勘違いするな。毎日毎日汗水垂らして上司に怒られ働いて、ウチに帰れば怖いカァちゃんに虐げられ、息子・娘にゃ煙たがられ、土日の競馬だけが我が人生唯一の楽しみ。そんな奴等のなけなしの大切な金でお前等もお前等の家族もおまんま喰ってんだよ。それを「面白くない、遊び程度」「私は買いません。」とはどういう事なんだよ。借金地獄、サラ金から金引っ張れるだけ引っ張って、もうこのレース払い戻せなかったら首吊るしかない、そんな奴だっているんだよ。そいつからしたら「勝つのはあの馬だろうが、敢えて違うこの馬から」って、どういう事だよってなんねぇか。お前が来ると思ってるのは、一体全体どっちの馬なんだよってよ。お前はいいよな、どっちに転んでも「予想には入れなかったけど、言った通りあの馬が勝ったな。」「あの馬は来ないで、敢えて勝負したこの馬で高配当ゲット。」って言えるんだからよ。でも借金地獄のアイツは、払い戻せなかったら首吊るんだよ。それは他人事じゃねぇんだよ。お前等はそんな奴等の金に支えられて生きてんだ。首吊られたら客1人失うんだよ。お前等も死ぬ気で予想しろ。ぶっ倒れるまで眠るんじゃねぇ。出なくなるまで汗をかけ。血のションベン出ようが血ヘド吐こうが、客の為に死ぬ気で予想しろ。「私は買いません。」とか寝言こくのも大概にしとけ。

以前「馬券生活者軍団<IK>最強の競馬予想」というHPを運営し始めた時に、挑戦状企画と銘打って数名の予想家に予想勝負を挑んだ事がある。一番始めに勝負を挑んだ予想家が、妻子を養う馬券生活者木下健氏。彼のセリフが「男らしく流し馬券で」。女々しいだの男らしいだの、時代遅れな発言に唖然とさせされた。BOX馬券とか流し馬券とか、単勝当ててなんぼとか、そんな事大して重要じゃねぇだろ。攻めの予想だの、守りの予想だの勝ち誇ってほざいてる奴もチラホラいるけど、予想に攻めも守りもねぇよ。当たりか外れか、儲かったのかスッたのか、それしかねんだよ。

よく新聞予想家は一般の馬券購入者より不利だと言われる。枠順発表前からとか、馬体重も分からないうちからとか、馬体を見る前からとか、騎手変更に対応できないとか、返し馬を見る事もできずとか何とか、とにかく一般の馬券購入者よりも早い段階で予想印を付けなければならず、それがアンフェアだと言うのだ。だから良く言えば正直で負けず嫌いの、悪く言えば往生際の悪い予想家は「当日になってパドック・馬体重を見て、◎を変えるかも知れない。」と予め断っておく。ただこの予想家が予想印を変えたのか、また変えなかったのか調べる術はないし、第一そいつの予想を参考に買いたい奴はどうすればいいのか。新聞予想家だって一人の馬券購入者であるだろうし、新聞紙上で自分が付けた予想印を当日になって変えたいと思う事もあるだろう。だが極端に言えば客にコレを買えと言った物を、当の本人が買わないで別の物を買うなんていう事は無責任極まりない。自分の予想印と違う買い目を購入してもいい、ただ最低でも自分が付けた印を買ってからの話で、ましてや当日になって印を変えるとか買わなかったとか新聞で付けた印とは違う買い目を購入して儲かったなどと、口が裂けても言うべきではない。もう少し頭を冷やした見方をして、新聞予想家は一人の馬券購入者ではなく、単なる職業予想家であり予想印を付けるまでが奴等の仕事で、馬券購入はしないものと考えたとしてもだ。自らの仕事に対するプライド・責任・ポリシーの無さを曝け出してる事にいい加減気付けよ。一般の馬券購入者に比べ早い段階で予想印を付けなければならず、それがアンフェアだと思うのなら競馬予想家なんか辞めちまえ。

以前CSのフジTVチャンネル「競馬予想TV!」という番組を見た時に、市丸博司という男が他の予想家から突っ込みに突っ込まれているのを見た。電脳競馬だか何だか知らんが、自分で算出した指数を元に予想を組み立てるらしいのだが、どうも指数と買い目との辻褄があっていなかったらしい。結局は算出した指数よりも何よりも、自分の主観が最終的に優先されているという訳だ。ちょうど同じ番組に初登場した、名前は忘れたが直結指数という何やらコースに関する独自の理論で予想を組み立てる予想家がいた。俺はちょうどHPを畳んだ後だったのだが、「お!こいつ面白そうだな。もしかしたら競馬予想界に新しい風が吹くかも知れない。」と半ば応援の目で見ていた。だがやはり買い目決定、最後の最後の段になって市丸同様辻褄が合わなくなって嘲笑を浴びていた。2人とも他の予想方法に比べれば客観的で、単に算出した数字を追って買い目を出す、とても分かりやすい手法を取っているにも関わらず、詰めが甘い。要するに未完成な理論というか、自分で100%信じる事が出来ない理論であったと言わざるを得ない。フランケンシュタイン博士同様、テメェの造った人造人間が一人歩きしちまって、テメェの手に負えなくなってやがる。市丸姓を捨ててフランケンシュタイン博司に改名しなさい。

グリーンチャンネル「明日のレース分析」という番組を見た時に、冒頭から司会の女性は「天気予報では明日雪だと言われていますが。」と繰り返していた。その時に出演していた予想家がやはり市丸博司で、散々ぱら雪だ雪だと言われているのに「あくまでも私のは良馬場での予想ですから。雪が降ったら当たりません。」と笑いながら言い放った。その回か忘れたが直結指数の彼も、場立ち予想というコーナーに出演していて、以前の詰めの甘さを解消する為に新たな補助理論を確立していた。前者は相も変わらず適当三昧で進歩せず、後者は切磋琢磨し向上を図っていたという好対照な例だ。「明日のレース分析」に出演する他の予想家連中もほぼ市丸や前述した無責任な予想家連中と同類で、キャラクター先行型の支離滅裂な奴等が多い。断っておくが、俺は夜な夜な新聞・雑誌・NET・TVで予想家の醜態を探している訳ではない。たまに目に耳にする行動・言動がいつもいつも滅茶苦茶で、一事が万事この調子なのだろうという事だ。職業予想家というのであれば、客を意識した誠実な予想を展開すべきだ。市丸についても直結指数の彼についてもその後の事は知らないが、1人でも多くの言い訳野郎、インチキ野郎が居なくなればと思う今日この頃である。